2019.04.15

Interview

全産業の1/3が改善!? 日本気象協会が提唱する「食の天気予報」

テレビや新聞、ネットニュースで日夜目にする天気予報。私たちの生活には欠かすことのできないこの気象データが、深刻な社会課題である食品ロスの削減に多大な貢献をしていることをご存じでしょうか?

全産業の1/3が何らかの気象リスクに晒されているという現代にあって、人類がもつ数少ない「未来予測技術」である気象ビッグデータは社会の行く末をも左右する重要な情報とされています。日本気象協会主任技師の中野俊夫さんは、膨大な気象データを活用することで、独自の食品需要予測システムを開発することに成功したチームの立役者です。中野さんらが開発した「豆腐指数」は、冷奴に使われる寄せ豆腐の廃棄率を削減することに成功。さらに、季節ものの人気食品である冷やし中華に使われるつゆの廃棄率も50%削減しました。

これほどまでに高精度な食品需要予測を成し遂げることができたのは一体何故なのか。プロジェクトの経緯をお伺いしました。

profile

  • 一般財団法人日本気象協会

    中野 俊夫(なかの としお)

    1999年3月、京都大学大学院理学研究科修了。2000年4月、日本気象協会入社。首都圏支社調査部配属。気象システム構築に関する業務を担当する。2012年9月、九州大学大学院工学府博士(工学)の学位取得。2014年7月から事業本部防災ソリューション事業部へ配属。経済産業省の補助事業を同時期から開始する。

製・配・販をつなぐプロジェクトの起こり

―― 日本気象協会が、2017年にスタートさせた「商品需要予測事業」。素人目に見ると、「民間の気象予報会社がなぜ異分野である食品の予測事業に?」という疑問を抱いてしまうのですが、そもそもこのプロジェクトはどのような経緯で始まったのでしょうか?

まず、私の個人的な動機として「気象予測のシステムを活用して、何か社会に役立つ事業を起こせないか」という漠然とした思いがありました。しかし、なかなか「これだ」というものにたどり着かないまま、日々を過ごしていたんですね。でもある時、じっくりと自分の仕事について考える時間をつくれる機会ができ、今一度この仕事への向き合い方を見直してみよう、という思いが芽生えたんです。

気象とは一体なんなのか、と突き詰めて考えていくと、3つの大きな特徴をあげることができます。1つは、予測ができるということ。2つ目は世界にある産業の1/3もの分野に何かしらのアプローチができる可能性を秘めていること。そして3つ目は、地球温暖化によって気象をとりまく状況そのものが大きく変化してきているということです。

この3つの特徴を踏まえたうえで、現在の日本社会にはどんな課題があるのか、と考えてみると、真っ先に挙げられるのが生産年齢人口の大幅な減少と、食品の廃棄問題でした。そこで、市場規模が大きく、社会課題として深刻な「食」分野にアプローチしてみようと思い立ち、このプロジェクトを起案しました。


―― 中野さんお一人で始められたこのプロジェクトは、今では豆腐メーカーの相模屋食料や、冷やし中華つゆなどを販売するミツカンなど、企業の境を超えたプロジェクトへと成長しています。ここまで行き着くには、ご苦労もあったのではないでしょうか。

ええ、私たちの「商品需要予測事業」は、食品ロスの課題を抱えている企業と連携し、ある程度のデータを共有していただかないことには始まりません。ですが、プロジェクトを立ち上げた当初は、企業側の課題をヒヤリングするだけでも一苦労でしたね。まずはさまざまな経済フォーラムに参加し、私たちの考えや、取り組んでいきたいことを説明させていただくことからはじめました。やがて食品メーカーの方と直接お話しをする機会にも恵まれ、「1社だけでは食品ロスの課題を解決することは困難なのだ」という前提を知ることができました。食品ロスは、それを生産するメーカーだけではなく、その食品を仕入れる小売業者や、売り場まで運ぶ運送業者など、一連のサプライチェーンの協力があってはじめて解決できる問題なのです。

―― メーカーのみならず、小売や配送業者などとも連携するとなると、さらにプロジェクトは難航しそうなものですが……

そうですよね。ですが、このような課題はかねてより経産省も認識しており、製・配・販流通協議会という情報交換会を開催していたんです。しかも2013年にこの情報交換会が一区切りとなるとの話を伺って、「であれば、その取り組みを引き継ぐ形で日本気象協会主導の製・配・販連携プロジェクトをはじめてみよう」と経産省が予算をつけてくれました。

―― サプライチェーンの情報交換の場がなくなる、というタイミングで中野さんたちが取り組もうとしていた事業と経産省の意向が見事に一致したんですね。

ええ。幸運なことに。

―― そこから、相模屋食料とは豆腐、ミツカンとは冷やし中華つゆのロスを削減すべく連携していくわけですが、成果が出るまでにはどのくらいかかったのでしょうか。

相模屋食料さんとミツカンさんのプロジェクトを同時に進めて、ほぼ同じ時期に成果が出ました。私たちはこのプロジェクトのフローを三段階で考えていて、第1段階は課題の見える化、第2段階は個社での実施、そして第3段階でサプライチェーン間での実施を目指しました。どちらも始動から2年目で個社利用の段階まで持っていくことができましたね。

―― 寄せ豆腐と冷やし中華つゆ、どちらも夏に売れる食品です。単純に考えると、気温が高い日はよく売れて、低い日はそれほど売れない、ということが予想されるのですが、これまでロスが多かったということはそれほど単純な問題でもなかったということですよね。

そうなんです。豆腐にしても、絹豆腐と木綿豆腐は売り上げが天候の影響をそれほど受けないのですが、冷奴に使う寄せ豆腐だけは影響を受ける、という面白いデータがありました。しかも、単純な気温の上下ではなく、体感気温の変化が豆腐の売れ行きと密接に関係していることもわかったんです。

―― 体感気温ですか。

ええ、これも相模屋食料さんへのヒヤリングがなければ気づくことのできない視点でした。というのも、長年豆腐を生産してきた相模屋食料の方も、「暑ければ売れる、寒ければ売れないという単純な話ではないんです」ということをおっしゃっていたんです。その話を聞いたあとで、「であれば、SNSユーザーが『暑い』『寒い』とつぶやいている総数をカウントして、体感気温を測る指標にしてみてはどうか」とチームメンバーが提案してくれました。「それはいいね」と実際に試してみたら、これが見事に寄せ豆腐の需要予測の精度を上げてくれたんです。


SNS解析グラフ

―― 人がSNSでつぶやく「暑い」「寒い」というワードは、必ずしも実際の気温と結びついているわけではなかった、ということでしょうか?

いいえ、そうではなく、重要なのは当日だけの気温ではなく、前日との気温差などとの複合的要因だったんです。面白いことに、人は前日との気温差が大きいほど、暑さや寒さを感じやすいんですね。なので、需要予測のための体感気温を正確に測るには、当日の気温だけでなく、前日までの気温も見なければならないのです。

誰しも覚えはあると思うのですが、冬場にいきなり1日だけ最高気温が12度の日があったりするとかなり暖かいと感じますよね。でも、これが夏だったらどうでしょうか? 夏場の12度は、とても肌寒い。つまり、人は気温に慣れるということなのでしょうね。

―― なるほど。そうして御社独自の「豆腐指数」が開発されたわけですね。

ただ、ひとつ申し上げておきたいのが、相模屋食料さんの豆腐ロス削減は、決して豆腐指数だけによる成果ではないということです。相模屋食料の鳥越社長はすばらしい経営センスと行動力を兼ね備えた方で、豆腐業界では初めて、豆腐の生産の全機械化を成功させた立役者でもあります。従来の豆腐は、形が崩れやすいこともあって人の手で生産せざるを得ず、賞味期限も短いものでした。機械化により出来たての熱々の状態のまま豆腐をパック詰めできるようになり、さらに製造時間が短縮されるなど、雑菌が増えにくい環境を実現し、相模屋食料さんは賞味期限を大幅に伸ばすことに成功したんです。この企業努力なくして、寄せ豆腐の廃棄率削減は成し得なかったでしょう。


体感気温指数と寄せ豆腐指数の関係を記したグラフ

―― 同時に進めたというミツカンさんの冷やし中華つゆの事例は、相模屋食料さんの事例とどのような点で違ったのでしょうか。

豆腐は賞味期限が短く、毎日生産する食材ですが、冷やし中華つゆは賞味期限が長いので夏季を通して長期的な視点で在庫数をコントロールする必要があります。なので、短期的な需要予測が相模屋食料さん、長期的な予測がミツカンさん、というのが私たちのなかでの棲み分けでした。短期と長期で予測する、というのは、私たち気象業界の人間が普段からしていることでもあるので、この2つの事例で同時に成果を残せたのはとても喜ばしいことでした。

―― ミツカンさんの冷やし中華つゆは、どのような経緯で廃棄率を減らしていったのでしょうか。

3カ年計画の経済産業省のプロジェクト1年目に最終在庫を40%削減することにシミュレーション上で成功し、その翌年に実際に生産量を調整いただき20%、そして3年目はさらに20%の削減に成功しました。事業化後の今も年々オペレーションの精度を上げることができていると思います。

―― 近い将来、天気予報ならぬ「食料予報」が一般的になる日も来るのでしょうね。

はい、相模屋食料さんやミツカンさんのように、個別の企業に最適化された形で需要予測システムを開発するのにはどうしても膨大なコストがかかります。今後は、より汎用的で多用な食業界の方に活用していただけるシステムを開発していきたいと考えています。

気象データが最適化する次なる産業

―― 食のロスを改善していくと、それを運ぶ運送業界でのムダも削減されていくことが期待できますよね。

そうですね。運送の話で言うと、ネスレ日本さんとも実験しました。ネスレ日本さんは、関東などに荷を運ぶ際に高コストなトラックで運ばざるを得ない、という問題を抱えていたんです。

―― それはなぜでしょうか?

船で運ぶことができれば、Co2の排出量も少なくすみますし、コストも安く抑えられます。しかし、流通時の意思決定の都合上、一週間先までしか気象予報がわからないと、どうしても船での輸送は間に合わないんです。そこで、我々は気象予測分野の先進地域であるヨーロッパのデータなども活用し、気象予測を一週間から二週間に伸ばして独自予測を提供することにしました。これにより、意思決定を前倒しにすることが可能となり、さらに日本気象協会のECoRO(エコロ)という内航船向け最適航海計画支援システムによって、運航会社は効率的な航路で荷物を運ぶことができ、Co2の排出量を合わせて54%削減することができました。


―― 今後は食や流通以外の業種でも気象データによる予測システムが活用されることが期待できますね。

はい。今後は医療やMobilityなど、一見すると気象とは関係がなさそうな分野にも目を向けていきたいと考えています。すでに公表されているだけでも大手広告代理店さんやAIのスタートアップ企業さんなど、連携してくださる企業も増えてきています。ゆくゆくは社会全体の課題を解決できるような、政策提言を出せるくらいまで事業の精度を上げていきたいと考えています。

イノベーションを起こす人間に求められる素養

―― 中野さんのお話を聞いていると、業種の垣根を超えて密にコミュニケーションをとった結果としてイノベーションが起きていることに気づかされます。このプロジェクトを推進していくなかで、大切にされているモットーなどはあるのでしょうか?

私がこの事業に取り組むうえで最も大切にしているのは、とにかくいろいろな立場にいる方の意見に耳を傾けることです。一人でできることや自社だけのリソースでできることには限界がありますし、今はもうそういう時代でもありません。いかに異業種の方々とコミュニケーションを取り、互いの課題を共有し合ったうえで、連携してくのか。それは、AIには置き換えられない、人間にしか担えない仕事だと思いますし、今後はその能力が一層求められる時代になるのではと感じています。

―― 最後に、これから社会へ飛び出し、新しいことにチャレンジしていく学生へ向けてエールをいただけますでしょうか。

何か新しいことを始めようとすると、嫌になることは山ほどありますし、諦めたくなることだってあるはずです。しかし、重要なのは「絶対にやり遂げるのだ」と強い意志を持ち続けることなのではないでしょうか。

……と、少し偉そうに語ってしまいましたが、実はこれ、相模屋食料の鳥越社長の受け売りなんです(笑)。豆腐指数を実現させるまで、私自身幾度となく諦めそうになるタイミングがありました。でも、そんな時に諦めさせてくれなかったのが鳥越社長なんですよ。なんとしても豆腐のロスをなくすのだ! という鳥越社長の信念に突き動かされて、ここまでやってこれました。みなさんも新しいチャレンジをする際には、「諦めずにやり抜く」という強い気持ちを忘れないようにするといいのではないでしょうか。


食と気象。まったくの異業種と手を取り合い、密に連携することで社会課題の解決に挑んできた日本気象協会が今後イノベーションを起こすのは医療か、それともMobilityか。業界の垣根を超えて社会の最適化を目指す中野さんの取り組みに、今後も要注目です。