食と色彩の社会的関係を歴史で読み解く
バナナは黄色、トマトは赤色。ではミカンは何色?――幼い子供たちと色について話すとき、食べ物を媒介にした経験のある人は少なくないでしょう。ミカンに至っては、その色の名前からしてオレンジ色や、だいだい色です。ですが、150年ほど前には、赤いバナナが黄色いバナナと同じくらい当たり前の存在でしたし、トマトには熟しても赤くならない品種もあります。私たちが、ある食べ物の色を「当たり前」と感じるのはなぜでしょう?そして、そこにはどんな意味や問題が潜んでいるのでしょう?
感覚史が紐解く「食の色彩」と「社会のダイナミズム」の相互作用
『視覚化する味覚―食を彩る資本主義』著・久野愛(岩波書店、2021年)
「バナナは黄色い」ことが当たり前になった理由は、20世紀初頭の米国にありました。赤いバナナが黄色いバナナと同じくらい当たり前の存在だった1870年頃の米国では、バナナはエキゾチックで珍しい、たいへん高価な果物でした。当時、一本のバナナは、450gから900gのサーロイン牛肉と同じ値段だったのです。ところが、わずか十年後の1880年頃には、家庭で作る定番デザートの食材になり、さらに四半世紀後の1905年には、「貧乏人の果物」と紹介されるまでに安価で大衆的な食べ物になっていました。そして、この頃までには、町の人々が手にするバナナは黄色いものばかりになっていたのです。
何が起きたのでしょう?
フルーツ企業と広告業界が、バナナをすっかり黄色くしていたのです。
フルーツ企業が中南米にプランテーションを建設し、バナナの大規模生産を始めたことが、そのプロセスの始まりでした。より効率的な生産と販売をめざすフルーツ企業は、やがて、皮が厚くて傷つきにくく長距離輸送に向いていた黄色品種のひとつ、「グロスミッチェル」だけを集中的に栽培するようになりました。科学的経営の代表的な手段だった「標準化」が、食の色彩も標準化していったのです。
売場に黄色いバナナばかり並ぶようになると、今度は広告や印刷がそのプロセスを加速します。市場調査会社は消費者がより魅力的に感じる黄色を科学的に探り、印刷会社は化学を駆使してより魅力的な黄色を再現し、より多くの消費者をより強く魅了しようとします。バナナの販売促進用にデザインされたキャラクター「チキータ」さんも、もちろん黄色です。料理本や広告、その他さまざまなメディアで描かれるバナナも黄色ばかりになってゆきました。
そうして、魅力的な黄色いバナナに視覚を占領された人々は、バナナは黄色いのが自然、黄色いのが当たり前と感じるようになっていったのです。
本書では、バナナに限らず、食と色彩の関係が歴史的・社会的に生み出されてゆくプロセスを「感覚史」の方法に依って紐解いてゆきます。「感覚史」の研究者は、人間の五感の感じ方を、個人の主観的・生物学的現象としてではなく、社会的・文化的要因によっても規定されるものと考え、社会を理解するためのレンズとして用います。実際、何を美味しいと感じるか、よい香りと感じるかは、文化や時代によって異なります。その感覚のありよう、人々の感じ方を通じて、社会のありようを理解しようとするわけです。
バナナの物語は、本書の描く多彩な視覚史の、ほんの一部に過ぎません。バナナの黄色のように、ある色が、ある食べ物の自然な色として受け入れられるようになると、その色は企業の販売活動の重要な柱になります。企業の販売活動は視覚優位になり、やがて加工食品を彩る人工着色料が生まれ、政府規制や企業倫理の課題が派生します。消費者は対抗文化を勃興させて自然回帰してゆき、そんな世間を横目にスーパーマーケットは食の視覚装置としての洗練を遂げてゆきます。そして今日、ヴァーチャルな視覚の世界では食の視覚表現がさらに標準化・記号化される一方、「映え」を鍵として「視るものとしての食」の文化的地平が拡がって…と、ページが進むにつれ本書の物語は加速度的に広がりと深みを増してゆきます。
新書としては情報密度が高い方の好著ですので、重いなあと感じる方には、一章きざみにじっくり読んでいただければと思います。社会科学への入り口としての「食」の間口の広さと奥行きを面白く理解させてくれる一冊です。
食マネジメント学部 教授 早川 貴
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