2017.06.21

Interview

ヒット商品『サヴァ缶』は、人と地域を動かす原動力

鮮やかなパッケージに、フランス語で「çava?(元気?)」とひとこと。こちらは、岩手県で生まれた国産サバの缶詰、その名も『サヴァ缶』。第一弾の「オリーブオイル漬け」は、約150万缶を売り上げ(2017年4月時点)、第二弾・第三弾と新しい味を増やして展開中です。このようなヒット商品は、いったいどんな人たちが、どんな思いで手掛けているのか。当時の商品開発に大きくかかわった、岩手県産株式会社の長澤由美子さん(いわて銀河プラザ店長)にお話を伺いました。

profile

  • 岩手県産株式会社 いわて銀河プラザ店長

    長澤 由美子(ながさわ ゆみこ)

    岩手県産株式会へ入社時は、物産センターへ勤務。その後、企画課や通信販売課、営業推進課などさまざまな課を経て、2013年に商品開発課長に就任。『サヴァ缶』の開発に携わる。2016年から東京支店・いわて銀河プラザの店長を務め、店舗販売・通信販売・商品開発のさまざまな業務経験を活かし、作り手の現場・背景の情報をしっかりと消費者へつなぐことを使命として開発・販路拡大に尽力している。

県内唯一の産地問屋が、岩手の魅力を全国に届ける

―― 岩手県産株式会社とは、どのような会社なのでしょうか?

1964年、東京オリンピックが開かれた年に生まれた日本初の第三セクターの産地問屋で、53年目をむかえます。岩手県内のメーカーが手掛ける商品を、岩手ブランドとして流通させることが目的で、岩手、仙台、東京、名古屋、大阪、福岡に営業拠点を設け、アンテナショップの運営・ネットショップ・卸売り等を通じて岩手県の販路拡大を目指し、全国に向けて発信・販売をしています。

―― 50年以上も前から、岩手県の価値を高めようとする意識があったんですね。

もともと豊かな自然がある岩手県は、農産、畜産、海産といろいろな食材が豊富な地域なのですが、それを活用してビジネスにすることが不得手だったんですね。いわゆる「原料供給基地」のような位置づけです。岩手のおいしいものを岩手から発信していかなければ、いつまでも岩手県の価値が上がらないということで、県外から稼ぐ仕組みをつくるために当時の県知事が当社を設立したんです。


―― 岩手ブランドにするために、商品の企画や開発に携わることもあるのでしょうか?

そうですね。基本的には、当社は製造メーカーではないので商品の中身はメーカーさんの製造となります。私たちの一番の役目は、それを流通させること。どうすれば魅力的になるか、世の中に広がっていくのか、という視点で商品と向き合い、パッケージデザインや価格設定などをアドバイスしながら商品化を進めていきます。

知恵と情熱を出し合った『サヴァ缶』プロジェクト

―― 現在は東京のいわて銀河プラザで店長をされている長澤さんですが、2013年には岩手県産で『サヴァ缶』の商品開発にも携わっています。この商品は、どのような経緯で生まれたのでしょうか?

『サヴァ缶』に関しては、私たち岩手県産と、岩手缶詰(株)、そして一般社団法人東の食の会による共同プロデュースで実現した商品で、東日本大震災後の被災地の食の復興を目的に開発したものです。震災から2年が経ったときに、私たちのところへ東の食の会さんがこの缶詰のアイデアを提案しに来られたのがきっかけでした。

ネーミングもデザインも味も、すべてが新鮮で説得力がありました。私自身も「これを岩手ブランドとして世の中に出したい!」と思いワクワクしましたね。また、そこには缶詰を作っている岩手缶詰の方も同席していて、何よりも「流通させてほしい」という強い思いが、伝わってきました。


―― そのまますぐに、社内でも商品開発へと動き出せたのですか?

いいえ、それがなかなか…。やはり慎重にならざるを得ない理由がいくつかありまして。まず当時の私たちは、お菓子中心の商品開発をしていたので、缶詰や水産加工品については販売ルートがほとんどなかったんです。それと、一番頭を悩ませたのは、製造コストです。1回の製造ロットが最低でも2万8,800個。1回に1千万円以上のコストをつぎ込むことになるんですね。在庫を抱えるリスクがあったので、正直、本当に売れるだろうか……という不安が頭をよぎりました。


―― それでも製造に乗り出したのは、どのような理由からですか?

やはり、県内で震災の被害がいちばん大きかったのが水産加工品メーカーだったことです。震災後、売り先がなくなって苦しんでいるメーカーの現実を、私たちはよく知っていましたから。お菓子中心だった私たちも「どうにかして岩手の水産加工品の販路を開拓できないものか…」と試行錯誤していたんです。そんなときに『サヴァ缶』の提案があり、当時の私の上司も「リスクは大きい話だけれど、これは岩手県産がやるべき仕事だ」という判断で動いていきました。理屈ではなかったですね。ここは「やろう!」と。「余ったら、みんなで売りさばくべ! とにかく頑張っぺ!」という思いで製造に踏み切りました。


工場でサヴァ缶を製造する様子

新たな販路を切り開いたのは『サヴァ缶』の商品力

―― 実際にはどのような販路で『サヴァ缶』を広めようと考えられたのでしょうか?

ひとつの商品を売るというよりも、この商品が突破口になって、岩手県の水産加工品を流通させたいという意識が強かったですね。「三陸のみんなが進む道を切り開いてくれ!」という思いをこの缶詰に託して、私も営業担当も動いていました。


―― 商談はどのように進めていったのですか?

大きな商談会に出品したり、実際に食べていただいたりしながら、私たちの思いを伝えていきました。今までの経験上、思いだけを一所懸命伝えても、商品に説得力がなければ力尽きてしまうことが多いなかで、この商品はデザインも味も評判が良く、おかげさまでパン屋さん、雑貨屋さん、セレクトショップといった予想もしなかったお店にまで販路を開拓することができました。改めて、「商品力」があるものは強いと感じましたね。

ひとつのヒット商品が、メーカーの意識を変える

―― 『サヴァ缶』がヒットしたことで、どのような変化がありましたか?

売上をはじめ、新しい販売ルートの獲得といった利益も当然ありますが、何よりも大きかったのは、ヒット商品を出したという経験を得たことだと思います。今までは「高くても商品力があれば売れる」と言われても、「わかるけどそれはお金がある大企業の話でしょ」と、どこか自分たちと切り離していました。でも『サヴァ缶』のヒットによってそれを実感し、商品開発に対する意識が大きく変わりました。地元のメーカーにとっても良い刺激になり、デザイン性や企画力のある商品が増えてきたことも収穫だと感じますね。

ひとつのヒット商品がもつ影響力を目の当たりして、改めて、岩手県産の本来の役目である「岩手ブランドを全国へ発信すること」の大切さに気づくことができました。


レシピ紹介やSNSを用いたキャンペーンなどの店頭販促がサヴァ缶のヒットを後押しした

―― 長澤さん自身、岩手県産で様々な職種を担当しながら、食にかかわる仕事をされていますが、仕事をする上で大切にしていることがあれば教えてください。

私の場合は、岩手県でまじめに頑張る生産者やメーカーの思いを汲んで、それを届けることを常に意識しています。商品開発で言えば、パッケージのデザインやネーミングに込められるかもしれないし、お店で接客する際は、トークの中身にも表れるかもしれません。例えば『サヴァ缶』の話をするにしても、みなさんが見えない岩手缶詰の工場が私には見えています。そこで働く人たちの顔や三陸の風景を思いながら話をしています。これもやはり、産地問屋である私たちのあるべき姿勢だと思っています。


ただ最近は、ビジネスとして求められる食と、郷土料理や家庭の味といった文化としての食のあり方でギャップを感じることもあります。例えば、私たちが商品開発で意識している「簡単」「手軽」「手間いらず」な商品づくりも大切だと思う一方で、手間ひまかけて作られた料理が、いかに美味しく豊かなものなのかということも、絶対に忘れてはいけない。岩手のお母さんたちが作る料理の美味しさを知っているからこそ、商品づくりについてはメーカーさんと何度でも議論を重ねることを大切にしています。

新たな挑戦は、3月8日から始まる

―― 2017年3月に、日本記念日協会から正式に3月8日が『サヴァ缶の日』に認定されましたね。

そういった記念日をつくることで、3月8日に全国で『サヴァ缶』にちなんだイベントが開催できると考え、日本記念日協会に申請しました。それに、毎年3.11のことを考えるきっかけになってほしいという思いもあります。あの日の体験、あの日を境に激変した生活に立ち返ること、そんな思いとともに「岩手県は元気に頑張っているよ」というメッセージを発信する責任が、この『サヴァ缶』とともに当社にはあると感じているんです。

これからは宮城県や福島県の缶詰メーカーとも連携しながら、三陸の元気を発信していきたいですし、青森、秋田ともつながりながら東北全体を盛り上げていく起点になれたら嬉しいですね。


企画のプロ、作るプロ、販売のプロが強みを発揮して生まれた『サヴァ缶』。三社共同プロデュースとはいえ、リスクを抱え、大きな決断をした岩手県産の存在が、どれだけ頼もしかったことか。岩手県産が手掛ける、作り手の思いを乗せた商品は、これからも岩手の元気を発信してくれることでしょう。

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