テクノロジーで変貌する食ビジネス。700兆円市場への挑戦
食の技術革新「フードテック」の波が日本にも押し寄せ、フードビジネスが大きく変貌しようとしています。その先駆けとなる試みが、「Food Tech Studio – Bites!(フードテック スタジオ バイツ)※正式名称は Bites! が斜体」。食分野の大手10社と、無名ながらも卓越した技術を持つ世界のスタートアップ企業とが連携し、革新的な商品や事業の創造をめざすオープンイノベーションのプロジェクトです。
運営するのは、米国のベンチャーキャピタル「スクラムベンチャーズ」(本社:サンフランシスコ)。プロジェクトで、何が変わるのか。立命館大学食マネジメント学部の和田有史教授が、スクラムベンチャーズの外村仁氏と早島諒氏に話を聞きました。
profile
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スクラムベンチャーズ
パートナー外村 仁
(ほかむら ひとし)東京大学工学部卒。戦略コンサルティング会社Bain & Company、Appleのマーケティング本部長などを経て、2000年にシリコンバレーで起業。Evernote日本法人の会長を務めた後、2016年から現職。また、シグマクシスの田中宏隆、岡田亜希子とともにSmart Kitchen Summit Japanを共同創設し、「フードテック革命」を日経BPより出版。全日本・食学会会員/肉肉学会理事。総務省「異能ベーション」プログラムアドバイザー。
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Food Tech Studio – Bites!
マネージングディレクター早嶋 諒
(はやしま りょう)現在、Scrum Venturesにて日本におけるスタートアップ投資、ならびにFood Techをテーマにしたオープンイノベーションプログラムを担当。それ以前は、米系コンサルティングファーム A.T.Kearneyにて、消費財・製薬・エネルギー領域を中心に、中期経営計画策定、新事業戦略立案、マーケティング、業務改善等の支援に従事。東京大学文学部卒。
2020年は「日本のフードテック元年」。生まれ変わるための挑戦が始まった
―― 外村さんは、先端IT企業が集まるシリコンバレーに20年以上お住まいで、フードテックで食ビジネスが劇的に進化する過程を、つぶさにご覧になってこられました。そこでまず、フードテックをめぐるこれまでの流れを振り返っていただきたいのですが。
外村さんシリコンバレーで「食」に注目が集まり始めたのは、今から10年ほど前です。メディアの情報発信や世の中の変化に敏感な有名人の著作などをきっかけに多くの人が食に目を向けるようになり、そこにビジネスチャンスがあると見たITやバイオの技術者、投資家の資金が続々とフードビジネスの市場に流れ込みました。この動きはヨーロッパやシンガポールにも広がり、「フードテック」という言葉が世界中で語られるようになりました。
―― フードテック、つまり食の分野に先端技術を取り込み、革新的な商品やサービスを生み出そうという取り組みですね。
外村さん特にここ4~5年は、フードテックによる変化の波が加速度を増して進んでいます。最初は先進的なスタートアップ企業が市場をリードしましたが、その技術やノウハウを大手企業が取り込み、新たな成長につなげる例が数多くみられるようになったのです。フードテックは構想や実験の段階を経て、今や広く社会に普及する段階。ところが残念なことに、フードテック市場で日本企業の名前は昨年まではほとんど聞こえてきませんでした。
―― 日本は完全に取り残されていましたね。
外村さんこのままでは、いずれ日本の食の市場がスマートフォンのように海外勢に席巻される。そんな危機感を共有していたシグマクシスの田中・岡田両氏とともに、2017年にフードテックの祭典『Smart Kitchen Summit』を日本に招致するなど、世界中に拡散するフードテック革命を日本に呼び込み、コミュニティを広げる活動に取り組んできました。
―― そうした取り組みが実を結び、日本でも2019年頃から風向きが変わりました。
外村さん多くのメディアで「フードテック」や「スマートキッチン」という言葉を目にするようになり、2020年7月には私が監修を務めた初のビジネス書『フードテック革命』(日経BP)も出版されました。何より大きな出来事だったのは、フードテックに関する情報発信を中心とした活動をさらに踏み込んで前へ進め、食品大手とスタートアップ企業とが事業共創するステージとして「Food Tech Studio – Bites!」を9月に立ち上げたことです。
―― 2020年12月には、第4回目の『Smart Kitchen Summit JAPAN』も開かれ、コロナ禍で初のオンライン開催となったものの、世界中から多くのゲストスピーカーが参加し、盛況のうちに幕を閉じました。
外村さん『フードテック革命』にも書きましたが、2020年はまさに「日本のフードテック元年」ともいうべき節目の年であり、日本の食業界が大きく変貌を遂げるために新たなスタートをきった年だったといえるでしょう。
トップクラスの企業がバックアップ。スタートアップ企業との共創で新たな価値創造
―― まさに満を持して誕生した「Food Tech Studio – Bites!」ですが、具体的な中身を教えてください。
早嶋さん大きな会社が新製品や新技術をつくろうとする時、以前は自社の研究所や開発部門を使って自前で行なうケースが大半でした。でも最近は外部のベンチャーやスタートアップ企業とコラボして、既成の概念を打ち破る製品開発をめざす「オープンイノベーション」の手法が広がりをみせています。
―― 今では多くの企業が、この手法を導入して新製品や新事業を立ち上げていますね。
早嶋さん「Food Tech Studio – Bites!」は、まさにこれをフードテックの分野で実践しようという試みです。優秀な人材と資金力を持つ大手企業。資金力も知名度もないけれど、他ではマネできない卓越した技術やノウハウを持ち立ち上がったばかりのスタートアップ企業。この両者を結びつけ、それぞれが持つ強みを生かすことで食分野における革新的な製品の開発や事業を創出し、環境保全やフードロスといった社会問題の解決をめざすオープンイノベーションのステージが「Food Tech Studio – Bites!」なのです。
外村さん今をときめくグローバルIT企業の名前をあげるまでもなく、ベンチャー企業やスタートアップ企業は世の中が大きく変わる節目、節目で、とてつもなく大きな役割を果たしてきました。日本では、まだそのことが十分に理解されず、なかなか「自前主義」を抜け出せないのですが、組織が大きくなれば既成のワクやしばりもあって、ムーンショット(斬新な研究)が生まれにくくなります。時代を変えるほどのインパクトをもったイノベーションは、大企業とは異なるロジックと発想を持ち、常識にとらわれない個性的な集団から生まれるケースが圧倒的に多いのです。「Food Tech Studio – Bites!」は、スタートアップ企業の活力と独創性を取り込むことで、食のイノベーションを生み出すインキュベータ(孵化器)です。
―― プロジェクトには、どのような企業が参画しているのですか?
早嶋さん私たちは「パートナー」と呼んでいますが、2020年9月にスタートした時点では6社だったのが、その後増えて、今では10社を数えています。具体的には、不二製油、日清食品、伊藤園、ユーハイム、ニチレイ、大塚食品、フジッコ、ハウス、カゴメ、東京ガスの10社。またプロジェクトをバックアップする戦略パートナーとして辻調理師専門学校や不動産会社の東京建物、さらに日立製作所、JR東日本、三菱ケミカルなど異業種からも多くの有力企業が参加し、私と外村がプロジェクト全体の取りまとめにあたるという体制です。
―― 誰もが名前を知っている会社ばかりですね。
早嶋さん日清食品は、世界に先駆けてインスタントヌードルを発明し、カップ麺を商品化したことで知られています。また大塚食品は、世界初のレトルトカレーを生み出し、不二製油は、大豆の不快臭を抑える加工技術や形状・食感の異なる数十種類の素材を組み合わせて多様な食感を生み出す技術を開発しています。いわば「元祖フードテック企業」ともいうべき食品・飲料のパイオニア企業が、優れたスタートアップ企業と共創しながら新しい取り組みを起こそうとしています。
外村さんさらに「Food Tech Studio – Bites!」では、パートナー企業とスタートアップ企業の事業共創でアドバイスを提供するメンターとして、世界的にも名前を知られる方々に、ご協力をいただいています。世界最速でミシュラン三つ星を獲得したレストラン「HAJIME」のシェフ米田肇氏、分子調理学を研究する宮城大学食産業学群教授の石川伸一氏、予防医学研究者の石川善樹氏。和田先生にも、専門の心理学の立場から、メンターとして助言やアドバイスをいただくことになっています。
海外18カ国85社のスタートアップ企業が結集。世界規模のオープンイノベーション・プロジェクト
―― 一方のスタートアップ企業については、どうですか?
早嶋さん2020年9月の立ち上げから3ヶ月、VCとしてのネットワークやオンラインを通じて募集を行ない、世界30カ国から218社にのぼるスタートアップ企業から応募がありました。その中で独創性や将来性などを慎重に検討し、最終的に世界18カ国85社のスタートアップ企業を選定しました。85社のうち、地域的に最も多いのは北米、次いで日本、ヨーロッパ、アジア、中東、オセアニアの順。事業内容も、培養肉や植物精肉などの次世代の材料を手がけるベンチャーから、調理家電のスタートアップ企業、フードロボットのメーカーなど多種多様です。
外村さんひとくちに食のイノベーションといっても、さまざまな領域があります。商品の配達状況を追跡するシステム、廃棄される食品(フードロス)を減らす技術開発、人間に代わって調理をするロボット、個人の健康状態にあった食事の提案。食のイノベーションにつながるブレークスルーを実現するために、日本だけにとどまらず、国内外から先進的な技術とアイデアを持ったスタートアップ企業を選定しました。
―― 文字どおり、グローバルなプロジェクトですね。
早嶋さんスクラムベンチャーズは、サンフランシスコに拠点をおき、北米を中心に年間1,500社にのぼるスタートアップをウォッチしています。海外のスタートアップ企業についても豊富な情報を持ち、日本のパートナー企業がキャッチできない情報を提供したり、パートナー企業の課題に最適なカウンターパートを絞り込んでマッチングできるのは大きな強みです。また私たちは、2019年にスポーツ業界を対象に世界規模のアクセラレーションプログラム「SPORTS TECH TOKYO」を手がけ、2020年8月にはスマートシティ(IoTでつながる近未来の街)をテーマにしたプロジェクト「SmartCityX」も立ち上げました。「Food Tech Studio – Bites!」は、グローバルなプロジェクトをいくつも手がけ、独自の運営ノウハウを持つスクラムベンチャーズだからこそ実現できたプログラムと言えると思います。
―― 今後プロジェクトは、どのように進んでいくのでしょうか?
早嶋さん第1段階として、事業のタネを探るところからスタートし、パートナー企業とスタートアップ企業とのマッチングをはかっていきます。その上で製品やサービスのプロトタイプをつくり、実証実験を行なって正式に事業として立ち上げていくという流れです。スピード感をもって、消費者の目線に立ちながら独創的な製品やサービスの開発に挑戦します。
外村さんまた、パートナー企業とスタートアップ企業のマッチングだけでなく、パートナー企業同士で連携した事業共創はできないか、その可能性も探っていきたいと思っています。パートナー企業は、素材メーカーから加工食品の会社、冷凍食品の会社、飲料メーカーまで多種多様。“ワンチーム”として、食のイノベーションをめざします。
―― 将来については、どのようなビジョンをお持ちですか?
外村さんフードビジネスは、とても裾野の広い産業です。それだけに、これから次々と生まれてくるイノベーションを広く社会に普及させるには、まだつながりがない他業種とも連携していかなければなりません。外食、家電、流通、小売、ロボットなど、幅広い分野にアプローチして連携のネットワークを広げ、食を軸とする新たな産業をつくりだす端緒になりたいと思っています。
―― お話をうかがっていると、フードビジネスが大きな可能性を秘め、これから大いに楽しみな分野であることが改めてわかりました。
早嶋さん人間は、知恵と技術で食をより良いものに改良しながら暮らしてきた歴史を持っています。火を使って煮炊きすることで調理の幅を広げたのも「古代のフードテック」だし、酢や塩でしめると食品が長持ちすることや、椎茸を乾燥させて食べるとうま味が増すことを、昔の人は知っていました。現代においても、食品を広い地域に流通させるために保存料などの食品添加物を使って日持ちさせてきましたが、ITの技術を使えば、もうそんなことをする必要はしもありません。地元産の食材をオンラインで離れた場所にいる専門家の手ほどきを受けながら調理することだってできます。地産地消で、地域活性化につなげられるかもしれません。フードテックは古くて新しいテーマ。技術の進歩で食の技術が新たなステージへジャンプアップしたとすれば、これからもっとワクワクするような発見が待っているに違いありません。
世界700兆円規模の新産業へ。活躍のチャンスはまだまだ広がる
―― フードテックの市場が、今後さらに成長を遂げていくために、一番大切なものは何でしょう?
外村さんフードテックと聞いて、中には様々な健康リスクを連想する人がいるかもしれません。しかし、多くの食に関するテクノロジーは科学的な根拠に基づいて安全性が管理されています。世の中にあふれる情報は玉石混淆で、間違った情報に振り回されると、フードテックの本質が見えなくなります。料理はもともととてもサイエンスな世界。私たちは、テクノロジーが人間の生活を豊かにすると信じてチャレンジを続けています。今後は、正しい情報と、そうでない情報とを見極める目(リテラシー)を多くの方が持つことが、フードテックの発展にとって一番大切なことではないでしょうか。
―― 私たち教育者の責任も、重大ですね。
外村さんアカデミアには、ファクトに基づく情報や提言をどんどん発信してほしいし、フード業界にもっと接近してほしいと思っています。例えばスペインの4年生料理専科大学BCCでは、調理技術から食文化の研究、マーケティング、飲食店のデザインまで学ぶことができます。料理をつくる専門家と、料理を学術的に研究する専門家とが離れて存在するのではなく、これからは互いに接近して切磋琢磨する時代。そのための場として、日本初の食マネジメント学部には大きな期待を寄せています。
―― 最後に、フードテックに関心を持っている方や、未来を担う若い世代の方たちにメッセージをいただけますか。
早嶋さん食は、私たちの毎日の生活に直接かかわり、なくてはならないものです。「フードテック」と聞くと、何か自分とは縁遠いものに思えてしまうかもしれませんが、実はそんな暮らしの必需品を科学する身近なテーマであることを知ってもらい、一人ひとりが「自分ごと」としてとらえて、行動を起こしてほしいと思います。自分の生活や、周りにいる人たちの生活をより豊かにするもの。そして地球環境をまもり、持続可能な社会をつくるために必要なもの。それがフードテックです。
外村さん食の世界は、いまテクノロジーの進化によって大きな変貌を遂げようとしています。2025年には、その市場規模が700兆円に達するともいわれています。そのことは多様な人材が、自分の力を発揮する活躍の場が広がることを意味しています。“食の世界は、先端技術が満載で、新会社が次々に誕生する成長分野である” フードビジネスをそんなふうに定義し直した上で、自分が本当に楽しいと思える仕事は何なのか、やりがいを感じられる仕事はどこにあるのかを見つけるためにも、将来の進路のための小さなチャレンジを繰り返していただきたいと思います。
米国では、植物性たんぱくでつくられた代替肉パティを使ったハンバーガーが販売され、スーパーでも植物由来の製品がズラリと並ぶ時代。私たちの知らないところで、「フードテック革命」はもう始まっています。「Food Tech Studio – Bites!」を武器として、世界と戦う外村さんと早嶋さんのチャレンジが、日本のフードビジネスをどんな姿に変えていくのか。挑戦は、まだ始まったばかりです。
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