「食材ピクトグラム」で誰もが同じテーブルを囲める世の中へ
食物アレルギーや健康上の理由により「食べられないもの」がある人も、宗教上の戒律やベジタリアンにより「食べてはいけないもの」がある人も、誰もが安心してレストランでメニューを選べるようになってほしい。そんな思いから生まれたのが、料理で使用している食材を世界共通言語であるピクトグラムで表示する「フードピクト」というアイデア。プロジェクトの中心にいたのは、当時まだ大学生だった菊池信孝さんでした。
profile
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株式会社フードピクト 代表取締役
菊池 信孝(きくち のぶたか)
高校生の時に9.11が発生、平和構築について学ぶため2005年に大阪外国語大学へ入学。大学在学中にインターナショクナルを設立、フードピクトを開発する。大学卒業後、2009年にNPO法人化、2017年にはフードピクト事業を独立させ株式会社化。2010年世界経済フォーラム「Global Shapers」選出、2016年日経ソーシャルイニシアチブ大賞「クリエイティブ賞」受賞。
食文化の壁を知った学生ボランティア時代
―― 食材ピクトグラムは菊池さんの大学在学中に生まれたとお聞きしています。そこにはどんなきっかけがあったのでしょうか?
当時、大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)に通いながら、留学や仕事で日本にやってきた外国人の方たちと週末を一緒に過ごして、電車の乗り方や買い物の仕方を教えるというボランティアをしていました。そのときに出会ったのがサウジアラビアからの留学生。厳格なイスラム教徒であった彼にも日本食を楽しんでもらおうと、お寿司や天ぷら、お蕎麦などを紹介し、これらの料理には「豚肉とアルコール」が含まれていないことをきちんと説明しました。しかし彼の答えは、どの料理もNO。初めて見る料理、お店に不安がいっぱいで、結局その日はファストフード店のフィッシュバーガーを口にしただけでした。
そのとき僕が感じたのは、異国から来た彼をもてなすことができなかった寂しさと、彼のような外国人はどうやって日本で過ごしているのだろう?という疑問。大学にはいろいろな国籍の学生がいましたから、「それならば」と聞き込み調査をすることにしました。それがすべての始まりですね。
―― 聞き込み調査ではどんなヒントが得られましたか?
よくわかったのは、日本で生活するためにみんな努力や苦労をしているんだということ。外食は当然簡単ではありませんし、スーパーで食材を買うにしても留学生コミュニティの中で「これは安心だ」と知られているものしか買えなかったり。当時はまだ学食にも宗教やベジタリアンに対応したメニューがなかったので、みんなとても大変そうでした。
そこでまず、仲間たちと一緒に学園祭に出店する80の飲食店に、日英中韓の4ヶ国語で原材料を表記するポスターを掲出してもらうという実験をすることにしました。
世界共通言語「ピクトグラム」で食材を見える化
―― スタートは言語での表記だったんですね。反応はいかがでしたか?
学園祭終了後に200名の方を対象にアンケートを実施したところ、とても好評を得た一方で、表記していた4言語を理解できない人にとっては不十分であることがわかりました。その頃、大学には24の専攻語があったのですが、そのすべてを記載するだけでも大変ですし、当然世界にはもっとたくさんの言語があります。「言葉で伝える」という限界にぶつかったわけですが、そのときにメンバーのひとりから出てきたのが「ピクトグラム」というアイデアでした。ピクトグラムは、わかりやすく言うと「絵文字」のこと。一般的なのは非常口や、トイレで男性用・女性用を示すマークですね。
余談ですが、ピクトグラムは日本生まれのコミュニケーションツールってご存知でしたか?1964年の東京オリンピック開催時に、世界各国から集まる選手や関係者とのコミュニケーションをどうするかと考えたときに、当時のデザイナーたちが日本古来の家紋からヒントを得て作り上げたものなんですよ。
―― 食材ピクトグラムは全部で14種類。どんな風に開発を進めたのでしょう?
まずは関西に住む外国人にヒアリングを行い、必要なピクトグラムを洗い出しました。その中で見えてきたのは宗教上の理由だけでなく、食物アレルギーを持つ人にもこの活動はニーズがあるということ。そこで肉やアルコールなどに加えて、卵や牛乳、麦といった食物アレルギーに対する特定原材料7品目を加えた14種類を揃えることにしました。この数は、現在も変わっていません。
第一弾のピクトグラムは最初の学園祭から4か月後に完成しました。その後、国際標準化機構(ISO)のピクトグラム制作ルールに従い、世界1,500名を対象に「理解度・視認性・必要品目」についての国際調査を行うなど、少しずつアップデート。デザインの改良にあたっては、全国の公共施設のピクトグラム開発を手がけるNDCグラフィックスの中川憲造さんに協力を仰ぎました。
1,500名の調査で興味深かったのは、ピクトグラムの理解においても文化的背景が大きく影響するということです。例えば、牛乳のピクトグラム。最初は集乳缶をモチーフにしていたものの、酪乳文化がない地域では理解されませんでした。次に紙パックをモチーフにしても、プラスチック容器や瓶で売っているものしか知らない人が多く、理解は低いままでした。さらに改良を重ねて現在の「瓶に牛のマーク」に。こちらは98%の人に理解をしてもらえるようになっています。
利用店舗は1,300店以上、世界的な注目も
―― 最初はどこで採用されたのでしょうか?
一番はじめは関西国際空港のレストランですね。ツテを頼って売り込みに行きました。ちょうど関西国際空港がLCCの受け入れを拡充し、イスラム教徒の多い東南アジアからの観光客が大幅に増えることが見込まれる頃でした。そのため空港側も問題意識を高く持っており、比較的スムーズに導入が決まりました。その後は成田国際空港や全国展開するホテルチェーン、商業施設などでも採用され、現在では世界1,300店舗で採用いただけるまでになりました。
また、レストランだけでなく、ミラノ万博日本政府主催パーティー(2015年)、G7伊勢志摩サミット(2016年)、札幌冬季アジアオリンピック(2017年)など、国際的なイベントでもフードピクトの採用が続いていることも、とても嬉しく思っています。
―― 採用したレストランからはどのような声が返ってきていますか?
2015年のヒアリング調査では、約97%のお店で「使ってよかった」という声をいただいています。お客さまへの説明がしやすく、接客の不安が減ったという感想のほか、メニュー考案時にこれまでよりもシェフが食材にこだわるようになったという意見も。「自分が自信を持って作った料理を、ひとりでも多くの人に楽しんでもらいたい」と使用食材を改めて見直した例もあると伺っています。
―― 10年足らずでここまで採用が広がった要因は、どこにあるとお考えでしょう?
2020年に東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まったことは大きかったと思います。開催期間には必ず世界中の人が日本にやってくる。それはもう動かしようのない事実なわけで、多くの飲食店がそのことを自分ごととして捉えるようになったことがポイントではないでしょうか。
ともに食べることを、文化・国・宗教を越えるきっかけに
―― 学生ボランティア時代の出会いがきっかけで生まれた「フードピクト」。今もこの取り組みを続けるのは、どのような思いがベースになっているのでしょうか?
9.11の世界同時多発テロが起こったとき、学生ながらに「文化や宗教や国の壁を越えて、みんながもっと仲良くなれないのだろうか」と考えていました。今、思うのは「食べることには、その力があるのではないか」ということ。「同じ釜の飯を食う」という意のことわざは世界各地にあります。一緒にテーブルを囲んで食べる時間や空間を共有することは、人と人の絆を深めるのに役に立つはず。現在、宗教やベジタリアン、アレルギーなどの理由によって食事に制限がある人が世界で31億人、国内だけでも456万人います。例え食材に対してそれぞれの背景を持っていたとしても、みんなが自由にメニューを選び、同じテーブルを囲むことができたら、きっといい世の中になっていくんじゃないか、そんな風に考えています。
世界的に見ればユダヤ教徒のための「カシェル認証」やイスラム教徒のための「ハラール認証」、ベジタリアンのためのベジタリアンマークなどが広く活用されています。しかしそれらはそれぞれの特定の人たちだけに向けてつくられた認証制度。一方でフードピクトは、あくまでも「その料理に何が使われているか」を情報開示するためのツールです。作る人が食べる人を思いやって表示する。認証制度ではなく気軽に導入できるのも、普及が広まった一因のように感じています。
―― 最後に、これから食のビジネスにどのような期待をされていますか?
食の仕事が面白いことは間違いありません。料理を作って提供するだけにとどまらず、食とデザイン、食とテクノロジーのようにいろいろな分野と掛け合わせてもたくさんの可能性が広がっています。私自身を振り返ってみると、まさか自分が大学を卒業してすぐに起業するなんて当時は考えてもいませんでした。自分の興味のあること、必要とされていることに関わっているうちに自然と進路が定まっていったようなものですが、食は人と切り離せないもの。それを仕事にできてよかったと思っています。
これからの僕の目標はフードピクトで得た経験やノウハウをさまざまな分野に展開していくこと。今動いているのは防災に関するプロジェクト。例えば、避難所での登録時にアレルギー等で食べられないものがあることを伝えられるようにするなど、被災時にみんなが少しでも安心できるようなツールを開発したいですね。
「文化・国・宗教を越えて、たくさんの人とテーブルを囲みたい」という熱い想いを、とても静かに、優しい口調で語ってくださった菊池さん。フードピクトの開発にあたってもたくさんの人の声に耳を傾けるなど、このプロジェクトが大きく育った一番の理由は、菊池さんの人柄にあるようにも感じられました。2020年の東京オリンピック・パラリンピックのその日、世界中の人たちが日本で同じテーブルを安心して囲む。そんな未来を思うと、胸が大きく高鳴りました。
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